■ご挨拶
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小石川東京病院は、平成19年4月1日に旧日本通運健康保険組合東京病院を継承し、新たに発足いたしました。
当院は、この地で60年間企業病院としての役割を果たしながら、地域医療を中心に社会に貢献して参りました。今後は更に医療連携・地域支援医療を重点的に取り組んでいく方針でございます。また、人間ドックをはじめ各種健診活動にも力を入れていく考えでおります。
小石川東京病院の全職員は、病院理念のもとに患者様中心の医療の実践に努力いたして参る所存でございます。
小石川東京病院 病院長
大川 章裕
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■病院の理念
心の通い合う医療を念頭に、法を遵守し医の倫理に基づいて、すべての患者さまに平等に最高かつ最善の医療を提供する。
■病院の基本方針
- 地域の人々の健康と福祉を保障するため、患者さま本位の医療を実践する。
- 病院は患者さま中心の医療の心構えを堅持し、意欲的に質の高い医療を提供する。
- 治療を行う場合には十分な説明と情報を提供し、患者さまの同意を得て治療方針を決定する。
- 病院職員が最高の医療を提供するため、臨床医学的研究を推進する。さらに病院各部門での研修の強化を図り、高い医療水準を保持出来る医療従事者を育成する。
- 病院の運営にあたり、安全管理とその対策を徹底する。
- 各種医療機関との連携を推進し、患者さまに最高の医療の場を提供する。
- 医療記録を適正に管理し、原則として開示する。
■概要
医療機関名:医療法人社団 大坪会 小石川東京病院
所 在 地:〒120-0012
東京都文京区大塚4-45-16
電話 03-3946-5151 FAX 03-3946-2531
| 開設年 |
平成19年4月1日 |
| 理事長 |
大坪 修 |
| 病院長 |
大川 章裕 |
| 職員数 |
185名(H24.4.1現在) |
| 病床数 |
111床 2病棟、一般病棟 入院基本科2(10対1)
入院食事療養(I) |
診療受付
時間
診療時間 |
月〜金曜日 8:40〜11:30、13:00〜15:30
土曜日 8:40〜11:30
午前:9時〜 午後:1時30分〜 |
| 基 準 |
保険医療機関/日本医療機能評価機構認定病院/東京都二次救急告示医療機関/労働者災害補償保険医療機関/結核指定医療機関/
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生活保護法指定医療機関/身体障害者福祉法指定医療機関
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原子爆弾被爆者一般疾病医療機関/
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| 診療科目 |
内科、外科・肛門外科、整形外科、眼科、
耳鼻咽喉科、皮膚科、婦人科、放射線科 |
健診・
人間ドック |
胃がん・大腸がん・乳がん検診、企業内健診、人間ドック(半日) |
| 医療設備 |
全身用CT、診断用X線撮影装置、移動型X線撮影装置、乳房X線撮影装置、透視X線装置、移動型X線透視撮影装置、超音波診断装置、各種内視鏡、各種循環機能測定装置、脳波・筋電図検査装置、各種眼科診断装置、血液生化学自動分析装置 |
| 敷地面積 |
2287.52u |
| 延床面積 |
4601.36u |
| 建築規模 |
鉄筋コンクリ-ト造・地上3階(一部鉄骨コンクリ-ト造4階)建 |
| 関連施設 |
○病院・診療所
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三軒茶屋病院・三軒茶屋第一病院・三軒茶屋第二病院・東和病院・北多摩病院・青葉病院・上野病院・江東病院・関川病院・霞ヶ関ビルクリニック・東都クリニック・労働保健協会・埼玉筑波病院・越谷北病院・新大宮クリニック・宇都宮中央病院・佐野市民病院・新宇都宮クリニック・グリーンタウンクリニック・高木病院・保土ヶ谷病院・南あたみ第一病院
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○介護老人保健施設
「ホスピア三軒茶屋」・「ホスピア玉川」・「ホスピア東和」・「ホスピア宇都宮」・「あそヘルホス」
○特別養護老人ホ−ム
「清心苑」・「イーストピア東和」・「いずみ苑」○知的障害者通所授産施設「ゆめみ野工房」
○住宅型有料老人ホ−ム「やわら樹の里」
○学校
東都医療大学
深谷大里看護専門学校
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■個人情報保護
個人情報保護につきましては、こちらをご覧ください。

の成り立ち
江戸時代嘉永年間、都立大塚病院敷地から大塚公園にかけて、この一帯は松平長門守の下屋敷が設けられてありました。
明治維新が起こり、その後の明治5年、松平定信の七分金積立が東京府に引き継がれました。渋沢栄一は、これを活用し、アレクセイ大公(ロシア皇帝アレクサンドル3世の弟)が来日する際、「乞食物貰體の徘徊するの不體裁につき取締るため」を名目に身寄りのない子どもや老人を養うための窮民救済施設として東京市養育院を創設しました。(※松平定信は、田安宗武の第3子で、8代将軍徳川吉宗の孫にあたる。安永3年、17歳で白河城主松平定邦の養子となり、天明3年、白河藩11万石を相続する。天明7年、30歳の時、江戸幕府の老中に任ぜられ、寛政5年に退くまで幕政の立て直しに努め、その過程で七分積金制度による救荒資金の制度を作り、町会所の運営に当たった。この基金が明治になって、養育院建設の基金となっており、養育院の設立・維持に貢献した大久保一翁・渋沢栄一は、深く松平定信を尊敬している。)
渋沢栄一は、実業界を退いた後、その逝去に至るまで院長を務めるなど60年にわたりこれに力を注ぎ、身寄りのない子ども、老人、路上生活者や障害のある人などを救済、「東京養育院」は日本で最初の公立救貧施設でした。彼はその後、この施設で感化救済事業や看護婦養成を行い、92歳の天寿をまっとうしました。
「東京養育院」は明治6年上野、明治12年神田、明治18年本所と次々に場所を変えました。明治29年大塚に移転した当時は東京15区の外れで、その後、周辺の都市化にともない、養育院は大正12年に北豊島郡板橋町(現、都立大塚病院所在地)に再び移転します。
(※都民の憩いの場としての大塚公園も元は「東京養育院」の敷地内にありました。昭和3年、開園の際には、『東京市の公園に一時代を画する新公園が出現した。それは三月三一日開園した小石川区大塚公園である』と新聞記事に出ており、最初のページには「大塚公園設計図」とタイトルの付けられた公園全体の平面図が載せられていました。「面積は僅かに四千坪の中級公園と云わんよりは、方面公園の面積の稍々広いものであるが、最も劣悪な地を巧に利用したことと、各種の建築的修飾とは残存せし在来の老樹と共に本園の特色となって居る」と称賛されています。)

大正12年9月、関東大震災の罹災傷病者救護のため、東京市は内務省の委託により30ヶ所の外来診療所と大塚、広尾、本所、深川、青山の簡易療養所を設置します。
大正15年3月、東京市立養育院跡地の一部(8,962坪650)に市立病院建設決定。
大正15年9月、同地に開設されていた大塚簡易療養所を閉鎖。そして関東大震災後の首都圏復興事業の一環として、中産階級以下の傷病者の診療を目的に、東京市養育院跡に市立病院の建設が決定されます。
昭和2年6月、工事着手、昭和4年6月、市立大塚病院(現在の都立大塚病院)開設。
昭和4年8月、院内に駒込病院付属伝染病室開設。
昭和7年10月、市域拡張により、常設伝染病院として駒込、本所、荏原、豊多摩、豊島、葛飾の6病院のほか予備施設として大塚、広尾、大久保の普通病院に隔離病棟を併設整備。
昭和15年7月、院内の駒込病院付属伝染病室を独立させ、常設伝染病院として小石川病院が設置されました。

昭和20年8月、終戦時の都立病院は、大塚、広尾、大久保、駒込、豊島、赤坂(築地は駐留軍に接収)の6病院で都民の診療にあたります。
この1年前の昭和19年、小石川病院は、経営移管により東京日通病院として開設されます。その後、昭和34年10月からは日本通運健康保険組合東京病院として運営されました。
そして平成19年4月1日、医療法人社団大坪会に経営が引き継がれ、小石川東京病院が開設、現在に至ります。

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